『蒋介石、日中戦争で、アメリカ陸軍の内戦協力の支援あおぐも失敗。大日本帝国を頼るべきだった。総統で、チャイナに君臨できたのに…

蒋介石の敵、中国共産党を倒す事に、アメリカ軍は協力してくれなかった。

そりゃあそうだ、なんの国益にもならないんだから。

 

大日本帝国と講和しておけば、中国共産党を、おいやり、ずっとチャイナ総統でいられただろう。満州の統治は、マフィアに毛のはえたような張学良より、ずっと素晴らしかった情報を、得ていたらなー。

講和してれば、国土の荒廃も、国民の疲弊も防げた。大餓死政策で、4000万人も餓死する事もなかった。

以下、抜粋

 

なおこの段階で蔣介石夫妻は自国の戦局についてルーズベルトには明かしておらず、ルーズベルトも中国戦線の実態を認識していなかった。しかし期待とは裏腹に中華民国は開戦以来から対日戦に劣勢であり、またアメリカの度重なる要請にもかかわらず中国共産党軍との連携にも消極的であり、ともすれば国共内戦が再発しかねない状態で、蔣介石の権力基盤は脆弱だった[84]。また1942年の日本軍がビルマ援蔣ルートを遮断したことにより米英からの軍事支援はヒマラヤ越えのみとなり装備・物資とも不足に陥っており[85]、ようやく各地で英米軍が持ち直してきた1943年の中盤になっても戦局は不利であった。

 

 

ジョセフ・スティルウェルは、1942年に中国戦線を担当したが、蔣介石を日記で「ピーナッツ」と呼んで罵った[82][83]

“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ…。(中国政府は)自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、ただ金、権力、そして地位だけだ。手に入るものには何でも頭を下げ、自分は戦わないように心がける。インテリと金持ちは子どもを米国に送り、農民の子どもが戦争にかりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ—おお神よ!— スティルウェル日誌[82]

 

カイロ会談後の12月6日にルーズベルト中華民国へ派遣されている外交官やジョセフ・スティルウェルから、次に日本軍に攻勢されれば国民党政府が倒壊すると冷水を浴びせられ、スティルウェルは中国本土からアメリカ軍の日本本土への空襲は日本陸軍の猛烈な反撃を招くと共に日本軍の内陸部侵攻を招くとして、中国本土からの空襲計画に反対した。カイロ宣言は翌年の日本陸軍の大攻勢である大陸打通作戦につながった。

大陸打通作戦での敗退以後、対日本軍の戦局が決定的に不利となり、連合国の重要会議であるヤルタ会談ポツダム会談に蔣介石が招かれることはなくなった。同年7月22日、日本では小磯内閣が成立した。