残虐な飢餓作戦 ナチスが、ロシアに行っていた衝撃②-1

 

ロシアは日本と、戦わずに、助けを求めるべきじゃなかったの?戦うのは、それからでも良かった…これは、私見ですけど

 

2019  週刊 現代  コピペ

 

まず時計の針を戦前の'37年まで巻き戻そう。この時ソ連内ですでに悲劇は始まっていた。スターリンによる大粛清である。

レーニンが没した後、スターリンの権力基盤はなおも不安定でした。『隙あらば反逆に踏み切り、自分を追い落とそうとしている者が多数いる』、強迫観念に囚われたスターリンは秘密警察を動員し、ソ連の指導者たちを逮捕、処刑させたのです」

'37年から'38年にわたって、3万4301人の将校が逮捕、もしくは追放され、そのうち2万2705人が銃殺されるか、行方不明になっている。これだけ見ても粛清がいかに苛烈なものであったかがわかるだろう。

結局'41年6月にドイツ軍に攻め込まれたときには、ソ連軍の指揮官は素人ばかりという有り様。まともな戦略も立てられず、ただ反撃するべしという原則のみが習い性になっていた。

兵士の中には、無茶な命令をする指揮官を殺そうとしたり、逃亡したりする者が続出した。兵器を持っていても、有能な指揮官がいなければ元も子もない。

降伏しても殺される

開戦当初、ソ連軍は当然のように大敗を喫した。7月初旬までにドイツ軍に捕虜にされたソ連兵は32万人にも及んだという。捕虜になったソ連兵にはさらなる地獄が待ち構えていた。

ヒトラー独ソ戦を世界観戦争であると規定しました。すなわち『人種的に優れたゲルマン民族が劣等人種スラヴ人を奴隷化し支配する』という世界観です。そのためソ連兵捕虜は人間として扱ってもらえなかった。

食料も充分に配給されず、ろくに暖房もない収容所にすし詰めにされ、重労働に駆り出された結果、大量の兵士たちが飢餓や凍傷、伝染病で死んでいきました。570万人のソ連軍捕虜のうち、300万人が死亡したと言われています」

 

一度捕虜にされてしまえば死亡率は53%。降伏したところで、命の保証はなかったのである。

ヒトラーやドイツ軍のこうした残虐行為はもちろん占領下の一般市民にも向けられていく。ナチスは占領したソ連領から食料を収奪し、現地住民を飢え死にさせてでも、ドイツ国民、ドイツ軍の将兵に充分な食料を与える計画を立てたのだ。