独ソ戦 ソ連の被害3000万人 もし日本に助けをもとめてたら…これほどには…、週刊現代の記事①-2

日本では第二次世界大戦といえば太平洋戦争がイメージされやすく、これまで独ソ戦についてはほとんど語られてこなかった。

しかし、7月に刊行された『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』岩波新書)がベストセラーとなり、発売わずか11日で4刷といま大きな話題を呼んでいる。著者で、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを歴任した現代史家の大木毅氏が語る。

独ソ戦は歴史上稀に見る残虐な戦争でした。その凄惨さは数字を見るだけでわかります。ソ連は'39年の段階で1億8879万3000人の人口を有していましたが、第二次世界大戦で戦闘員、民間人合わせて2700万人が失われたとされています。

一方ドイツも、'39年の総人口6930万人のうち、戦闘員が最大531万8000人、民間人も最大300万人を失ったとされています」(以下「」内は大木氏の発言)

'41年、ナチス・ドイツ国防軍が、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻して始まった独ソ戦では、北はフィンランドから、南はコーカサスまでほぼ3000㎞にわたる戦線で、1000万の大軍が激突。少なく見積もっても3000万人以上が命を落とした。

世界史的に見れば、第二次世界大戦の主戦場は独ソ戦だったとも言いうるのだ。

当時、ドイツではヒトラーナチスによる一党独裁体制を確立していた。一方で、ソ連ではスターリンが自身を頂点とした強力なテロ支配体制(秘密警察による支配)を敷いていた。

稀代の独裁者同士による戦いの現場でいったい何が起きていたのか。大木氏とともに独ソ戦の歴史を振り返る。